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三上豊氏による
評論文



パンリアル


三上誠資料館


福井県立美術館


GALLERY
TERASHITA



ギャラリー寺下について




三上 誠



1919年大阪市生まれ。1942年京都市立絵画専門学校 (現 京都市立芸術大学) 日本画科卒業。

戦後間もない1948年、関西の若手画家たち (山崎隆・青山政吉・八木一夫・鈴木治・星野真吾・田中竜二・不動茂弥) と共に

前衛グループ「パンリアル」を結成し、因習的な「日本画」の膠彩芸術としての根本的な反省とメディア再生を目指しました。

三上は若くして肺結核を患い、1952年(33歳)の大手術後には療養のため福井に帰郷。

身体をイメージした作品や、泥や荒縄による物質的構成作品、和紙・段ボールを用いたコラージュ作品などを制作。

晩年は「万華鏡」(1966他)「経絡・輪廻」(1967他)など、

仏教思想や東洋医学を通して自己の肉体を凝視する"宇自宙論的絵画"を構築しました。

1971年に肺結核を再発、翌年の1月16日52歳の生涯を終えました。


三上誠作品をもっと深く知りたい方はこちらへ
>> 三上豊氏(和光大学教授)による評論文 ”三上誠 −1960年代のコラージュについて−”




三上誠の作品




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略 歴
1919 (大正8) 0歳 8月7日、父・嶋田和左九、母・キクイの次男(六男三女)として、両親の出稼ぎ先である大阪市で誕生。旧名、嶋田誠。
1931 (昭和6) 12歳 長姉・ユキエが死去し、養子先であった三上家を家督相続し、姓を三上に改める。
1936 (昭和11) 17歳 第20回北荘洋画展(11月、福井・アルト会館)に「夏の小休」「東尋坊」を出品。
1940 (昭和15) 21歳 4月、京都市立絵画専門学校日本画科に入学。同科同級生に石本正らがいた。
1944 (昭和19) 25歳 3月、京都市立美術工芸学校・京都市立絵画専門学校生徒作品展に「作品」を出品、校友会賞を受賞。
6〜8月、陸軍相模原兵器学校(神奈川県淵野辺)に勤労動員。
9月、京都市立絵画専門学校を卒業(6ヶ月繰り上げ)。同校副手となる。
1946 (昭和21) 27歳 3月、京都市立絵画専門学校を辞任。
4月、京都大学付属病院結核研究所にて肺結核と診断され、療養のために福井へ帰郷。
1947 (昭和22) 28歳 第3回京展(6月、京都・丸物)に「雪の日の丘」を出品。
1948 (昭和23) 29歳 3月、「パンリアル」を、山崎隆・三上誠・青山政吉・八木一夫・鈴木治・星野真吾・田中竜二(進)・不動茂弥の8名で結成する。
パンリアル展(5月、京都・丸善画廊)に「肖像」「塔」「戦災風物誌A. B. C. D. E」等を出品。
1949 (昭和24) 30歳 第1回パンリアル展(5月、京都・藤井大丸、夕刊京都後援)に「夜」「器管 (ママ) の露呈」「デッサンA・B・C・D」を出品。
ここに星野真吾・不動茂弥・松井章・三上誠・大野秀隆(俶嵩)・小郷良一・佐藤勝彦・下村良ノ介・鈴木吉雄・田中進・山崎隆の11名で
「パンリアル宣言」を発表し、「パンリアル美術協會」が公に結成される。
第2回パンリアル展(11月、大阪市立美術館)に「戦災地と雲の重壓」「戦災風物誌A. B. C. D」「夜」「器管の露呈」「作品」「デッサン」を出品。
第3回パンリアル展(12月、京都・藤井大丸)に「戦災地と雲の重壓」「器管の露呈」「戦災風物誌D」「作品」を出品。
1950 (昭和25) 31歳 第4回パンリアル展(6月、京都・藤井大丸)に「器管の露呈」「K街の対象」「人物習作」等を出品。
第5回パンリアル展(11月、大阪市立美術館/京都・藤井大丸)に「K市(の胎動)」「F市曼荼羅」「器管の露呈」「作品」「K街の對ショウ」を出品。
1951 (昭和26) 32歳 1月パンリアル美術協会第1回総会で、同協会の会長となる。
5月、京都市立京都病院に肺結核治療のために入院。
1952 (昭和27) 33歳 1月、第4回目の手術(4回の手術で肋骨11本を切除する)。
8月20日、市立京都病院を退院、療養のため福井に帰郷(以降、福井に定住)。
1955 (昭和30) 36歳 第1回パンリアル東京展(10〜11月、銀座ナビス画廊)に「花がほしい」「胸のはな」を出品。
1956 (昭和31) 37歳 第14回パンリアル展【「新人グループ展」(走泥社と)】(11月、京都市美術館)に
「ひきつり」「夜の化石」「女の化石」「断層化石(A)」「断層化石(B)」「荒地」を出品。
1957 (昭和32) 38歳 第2回パンリアル東京展(2月、銀座・村松画廊)に「断層化石(A)」「断層化石(B)」「荒地」を出品。
第15回パンリアル展(11月、京都市美術館)に「湿地」(2点)、「觸手の大気」
「化石」「モニュマンと花(A)」「モニュマンと花(B)」「棘」「樹」「年輪化石」「碑」「不安な化石」「作品」(2点)を出品。
1958 (昭和33) 39歳 第10回京都美術懇話会展(2月、京都美術懇話会・朝日新聞主催、京都・大丸)に出品。以降、同展に出品。
京都アンデパンダン展(2月、京都市美術館)に「碑」を出品。
6月、福井大学学芸学部非常勤講師となる。
第16回パンリアル展(11月、京都市美術館)に「作品」(6点)、「湿地」(5点)を出品。
1959 (昭和34) 40歳 パンリアル作品展【春季展】(3月、京都府ギャラリー)に「作品A〜E」「木のコラージュ作品」を出品。
第17回パンリアル展(11月、京都市美術館)「荒地」(2点)「断層化石A・B」「生成」「記録」「ポテンシャルの空」(2点)「倒錯」「ウルカの星座」(4点)
「倒錯」「ウルカの星座」(4点)「作品」(3点)「ウルカの星」(2点)「野獣の城」「塔」「酸化地帯」「湿地」
「黒い川」「極」「断層」「冥(冥い果て)」以上26点を出品。この時初めて縄などをコラージュした作品を発表する。
1960 (昭和35) 41歳 第3回パンリアル東京展(2月、銀座・松屋)に「碑」「断層」「荒地」を出品。
朝日新人賞(6月、朝日新聞主催、京都/大阪・高島屋)に「凍地」を出品。
第4回京都日本画新人賞(8月、京都府主催・京都市美術館)に「園」を出品。
個展(8月、福井勝木書店画廊)に、約40点を出品。
第18回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「ウルカの星座」「荒地」等15点を出品。
1961 (昭和36) 42歳 7月、乾昌子と結婚。
個展(9月、神戸・ちぐさや画廊)を開催。
第19回パンリアル展(10〜11月、京都市美術館)に「ウルカの星座」「黒い季」等15点を出品。
1962 (昭和37) 43歳 第4回パンリアル東京展(2月、銀座・竹川画廊)に「黒の季」「紅の季」を出品。
パンリアル春季展(3月、京都府ギャラリー)に「紅の季」「変異の空間」「黒の季」を出品。
第1回現代美術京都秀作展(4月、京都新聞社主催・京都市美術館)に「輪」を出品。
第15回福井県総合美術展に審査員として出品(以後、同展の審査員を務める)。
第20回パンリアル展(11月〜12月、京都市美術館)に「異性の街A・B」「ココココの庭A・B」「ANTI - SEX」「寺院」「クリコの地」「華」「洞」「カランの火」を出品。
1963 (昭和38) 44歳 第7回毎日選抜美術展(2月、京都・藤井大丸)に「ANTI - SEX」を出品。
パンリアル春季展(3月、京都府ギャラリー)に「暮A・B」を出品。
第2回現代美術京都秀作展(4月、京都新聞主催・京都市美術館)に「異性の街A」を出品。
個展(8月、福井・品川書店画廊)を開催。
個展(10〜11月、銀座・銀芳堂画廊)を開催。
10月、父・和左九死去(77歳)。
第21回パンリアル展(11〜12月、京都市美術館)に「作品A」等24点を出品。
1964 (昭和39) 45歳 第8回毎日選抜美術展(1〜2月、京都・藤井大丸)に「作品E」を出品。
第3回現代美術京都秀作展(4月、京都新聞主催・京都市美術館)に「作品D」を出品。
「現代美術の動向−絵画と彫塑」展(4〜5月、国立近代美術館京都分館)に「作品64の6」「作品11」を出品。
第22回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「作品64・は、と」等15点を出品。
この頃より、針生一郎を中心とする「日本画研究会」に参加。
1965 (昭和40) 46歳 第23回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「輪廻の花」「輪廻の記号」
「作品 (1) (2) (3) 」「輪廻の誌」等11点を出品。
第5回パンリアル東京展(12月、銀座・壱番館画廊)に「輪廻の記号 (A) (B)」を出品。
1966 (昭和41) 47歳 第24回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「灸点万華鏡」「灸点輪廻1、2、3、4」を出品。
1967 (昭和42) 48歳 個展(5月、東京・日本画廊)に44点を出品。
第2回「これが日本画だ!」展(6月、東京・日本画廊)に出品。
第25回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「経絡万華鏡1、2、 3」「環 は、に、い」「環1、 2、 3、 4」「経絡輪廻」を出品。
5人の日本画家展(11月〜12月、東京・日本画廊)に「環」等4点を出品。
1968 (昭和43) 49歳 個展(6月、東京・日本画廊)を開催、「環(朱)」「環 経絡」「経絡万華鏡」「輪廻と万華鏡」等19点を出品。
日本画18人展(9月、東京・日本画廊)に「経絡 環」を出品。
第26回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「経絡 環」「経絡」「経絡 歴」「環」等15点を出品。
1969 (昭和44) 50歳 8月、母・キクイ交通事故にて死去(77歳)。
パンリアル二人展(9月、東京・日本画廊)を星野真吾と開催、「日日の凍結の生理A、 B、 C」「凍結の生理A、 B、 C」「無題」等約20点を出品。
第27回パンリアル展(10月、京都市美術館)に「凍結の生理万華鏡」「日日の凍結の生理A、 B、 C」等10点を出品。
1970 (昭和45) 51歳 パンリアル二人展(9月、東京・日本画廊)を星野真吾と開催、「機構の生理・的」「機構の生理」等7点を出品。
第28回パンリアル展(10月〜11月、京都市美術館)に「機構の生理・窓」等7点を出品。
1971 (昭和46) 52歳 パンリアル春季展(4〜5月、京都府立文化芸術会館)に「射【(機構の生理)的】」「鏡」「窓」を出品。
5月、第一回文化芸術賞を福井県文化協議会より受賞。
11月17日、肺結核を再発。福井病院に入院。国立療養所北潟臨湖園に移る。
1972 (昭和47) 1月16日、逝去(52歳)。
京都美術懇話会25周年記念展(4月、京都・大丸)に「作品(遺作)」が展示される。
パンリアル春季展(4月、京都府立文化芸術会館)に遺作3点が展示される。
第30回(10月、京都市美術館)に遺作54点が展示される。
1974 (昭和49) 1月、「三上誠画集」が三彩社より出版される。
「第一回从展−黒い太陽・七人の画家−」(6月、日本橋・三越)に約10点が特別展示される。以降、同展にて毎回展示される。
(大島哲以、佐熊桂一郎、斉藤真一、田島征三、中村正義、星野真吾、山下菊二が出品)
1976 (昭和51) 三上誠展(3月、神奈川県立美術館/7月、京都市美術館)に136点が展示される。
京都芸大日本画の流れ展(6月、東京セントラル美術館・絵画館/6月、京都・大丸)に「灸点万華鏡1」が展示される。
1977 (昭和52) パンリアル結成30周年記念展(9〜10月、京都市美術館)に「女の化石」「湿地」(1958)
「異性の街」「輪廻の記号」「灸点万華鏡」「機構の生理 ・的」が展示される。
1978 (昭和53) 星野真吾・三上誠二人展(1月、東京・日本画廊)に「女体の星と炎」等10余点が展示される。
三上誠展(9月、福井県立美術館)に135点が展示される。
1980 (昭和55) 遺作による三上誠展(8月、東京・大手町画廊)に20余点が展示される。
1981 (昭和56) 新収集品による三上誠展(3月、福井県立美術館)に79点が展示される。
1983 (昭和58) 故三上誠作品展(8月、東京・大手町画廊)に20余点が展示される。
1984 (昭和59) 「三上誠を偲ぶ」記念展(1月、京都・京都書院画廊)に「F市曼荼羅」「機構の生理・的」等6点が展示される。また、14作家17点が賛助出品。
1985 (昭和60) 三上誠・星野真吾2人展(8〜9月、福井県立美術館)に57点が展示される。
1986 (昭和61) 「戦後日本画の一断面−模索と葛藤」展(1〜2月、山口県立美縦貫)に「作品A」等4点が展示される。
「日本画 戦後の歩み1」展(4〜6月、いわき市立美術館)に「夜」「F市曼荼羅」が展示される。
「戦後日本画変革の戦士たち」展(11〜12月、池袋・西武 ザ・コンテンポラリー・アートギャラリー)に4点が展示される。
1987 (昭和62) 「日本画の4人展−大野俶嵩・下村良ノ介・星野真吾・三上誠」(7月、和歌山県立近代美術館)に27点が展示される。
遺作による中村正義・三上誠・山下菊二3人展(8月、東京・大手町画廊)に作品が展示される。
1988 (昭和63) 「日本画 戦後の歩み2」展(10〜11月、いわき市美術館)に「灸点万華鏡2」「凍結の生理・的54」が展示される。
1989 (昭和64 / 平成1) 4月、妻・昌子死去(64歳)。
「現代美術の創造者たち−昭和20年代の京都・大阪・神戸−」(10〜11月、鳥取県立博物館)に「雪の日の丘」「F市曼荼羅」が展示される。
1990 (平成2) 「三上誠展−自己凝視から「宇宙」へ−」(4〜5月、東京・O美術館)に120余点が展示される。
三上誠展(8〜9月、福井・いづみ画廊)に20余点が展示される。
日本画廊コレクション「星野真吾・三上誠展」( 3/22〜4/7、東京・日本画廊)
「輪廻の棺」「輪廻の誌 (4) 」「女体の星と炎」「灸点輪廻 (1) 」「灸点星座 (4) 」「人体の星 (2) 」「灸点星座 (5) 」「女の輪廻」等11点出品。
「燃焼の時代 (とき) 1950年代京都の日本画展」(11/1〜29、京都・京都市美術館)「無題 (夜) 」「湿地A」「湿地」「異性の街A」の4点出品。
1991 (平成3) 「三上誠展」(5/18〜25、東京・ギャラリー内村)「日々の凍結の生理, 標的」「翔」等10点出品。
目黒名画座「熱き時代のパンリアル展」( 6/7〜7/14、東京・目黒区立美術館)「極」「作品9」「作品」「無題」の4点出品。
1992 (平成4) 第1回常設展示( 5/23〜7/12、東京・東京国立近代美術館)「日々の凍結の生理」「経絡 輪廻」2点出品。
1993 (平成5) 「近代日本画への招待3 戦後日本画展」( 2/5〜3/28、東京・山種美術館)「作品」「無題」の2点出品。
「戦後日本画の転換期展−1950年代中心−」( 4/18〜5/23、栃木・栃木県立美術館)「極」出品。
1994 (平成6) 1月16日、三上誠資料館を新築。アトリエの一部(書斎)を復元保存。(福井)
「日本画の抽象−その日本的特質」( 2/11〜3/9、東京・O美術館)「湿地」「作品」「寺院」出品。
「日曜美術館」(NHK教育)に三上誠紹介( 2/27 )。
「三上誠展」( 3/7〜25、東京・日本画廊)「作品D」「生成」「凍結の生理」「陽」「ウルカの星B」20点出品。
「関西の美術−1950's〜1970's 創造者たちのメッセージ」( 4/9〜5/8、兵庫県立近代美術館)
1995 (平成7) 「近代日本画の一世紀展」(11〜12月、アメリカ・ミズーリ州セントルイス美術館)2点出品。
1996 (平成8) 「日本の美術−よみがえる1964年」( 1/13〜3/24、東京都現代美術館)
1997 (平成9) 三上誠遺作展(1〜2月、京都・星野画廊)25点出品。
三上誠・星野真吾展( 7/5〜14、東京・羽黒洞)
三上誠 VOL. 2 ( 7/22〜8/2、東京・日本画廊)20点出品。
1998 (平成10) パンリアル創世記展( 7/11〜8/16、兵庫・西宮市大谷記念美術館)
1999 (平成11) 三上誠遺作展( 2/5〜20、東京・ときの忘れもの)10点 未発表版画5点出品。
2000 (平成12) 三上誠展( 11/7〜25、東京・GALLERY TERASHITA)10点出品。
2002 (平成14) 「三上誠展−反骨の精神−」( 11/22〜12/1、名古屋・イサムアートギャラリー)15点出品。
2004 (平成16) 三上誠 85周年記念展1( 3/15〜4/2、東京・GALLERY TERASHITA)12点出品。
三上誠 85周年記念展2( 4/5〜23、東京・GALLERY TERASHITA)
三上誠展( 7/23〜8/3、東京・森田画廊)
2005 (平成17) 三上誠・野村耕(4/4〜4/23、東京・GALLERY TERASHITA)
三上誠・亀井三千代「生きる絆」( 6/6〜25、東京・羽黒洞)
2006(平成18) 三上誠展(1/10〜1/21、東京・GALLERY TERASHITA)16点出品。
三上誠展(1/23〜2/4、 東京・GALLERY TERASHITA)15点出品。
パンリアルから人人へ 三上誠・星野真吾展(4/3〜4/21、東京・日本画廊)7点出品。
視て.考えて・・・・私が見つける美術の世界のセカイ 三上誠(4/20〜5/21、京都国立美術館)常設展示


おもな収蔵先 福井県立美術館  神奈川県立近代美術館  京都国立近代美術館  京都市美術館
東京国立近代美術館  豊田市美術館 ほか多数
おもな参考文献 『三上誠画集』 三上誠画集編集委員会編 三彩社 1974年
『三上誠展 孤独な内部世界の発掘者』 神奈川県立近代美術館 1976年
『三上誠 自己凝視から「宇宙」へ』 O美術館(天野一夫編集) 1990年  ほか


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パンリアル



パン=汎、リアル=「現代」を表現する為の"広義"な「リアリズム」を願い、1948年三上が命名しました。

同年3月、青山政吉・鈴木治・田中竜二(進)・不動茂弥・星野真吾・三上誠・八木一夫・山崎隆の8名でパンリアルを結成。

翌1949年5月、第1回パンリアル展開催。大野秀隆(俶嵩)、小郷良一、佐藤勝彦、下村良ノ介、鈴木吉雄、

田中進、不動茂弥、松井章、三上誠、山崎隆の10名により「パンリアル宣言」を発表。

「パンリアル美術協會」が公に結成されました。


パンリアル宣言 1949年


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